LUNGSを観劇して
100分間の会話。
おしゃべりはカロリー消費をするというけれど、まさかただ座って観劇しているだけなのに、こんなにもごりごりに削られるとは思いもしなかった。
いや、想像してたけど、軽々とそれを超えていった。
ここからはネタバレあり、個人的な話、私の考えを綴っていきます。あくまで、私の考えです。
ネタバレしたくない方は戻ってくださいね!
忘れないようにと書きなぐっているので、読みにくい構成なのはごめんなさい!
―――――――――――――――――――――
女子大に入り、男性に負けたくないという気持ちや、それなりにタフな精神力を身に着けた私だけれど、いつの間にか、“就職して結婚してしばらくしたら妊娠して子供を持つ”という選択肢 しか なかった自分に気付かされた。
だから、Fの考える“持たない”理由が私を襲ってきたのは妊娠発覚直後の悪阻で苦しんでいるときだった。
すごく、すごく辛かったのを思い出した。
頭ではわかっていたつもりなのに。
“今じゃない”って何度思ったことか。
もう後戻りはできないのに、キャリアにブレーキがかかること、元気な子が生まれてくるのかな、もう好きな時に好きなだけ遊ぶとか無理だよね、ヒールもしばらくお預け?
毎日すごい数の嘔吐、そして重症妊娠悪阻で入退院を繰り返す。
誰が想像した?
天地がひっくり返ろうとも生むのは女性だ。
これはもう事実。性差だから。
初めて妊娠したFの複雑な心境になかなか寄り添えないMは、かなりリアルだったと思う。
ホルモンバランスの関係で、別人のようになってしまうことだってある。妊娠ってそういうこと。
ふたりで雑誌買って、エコー見て、ずっとハッピーみたいな描き方をするものもある中で、大きくなるお腹と、あんなに不安視していたのにそれでも育つあたたかい母性、でも妙なハイテンションと不安定な精神状態の描き方は、見事としか言いようがなかった。
また、感情的な女性を表現するに相応しかった、考えをすべて言葉にするというF。
Mも負けじと思い思いのことを面と向かって言い合って、とにかくずっと喧嘩しているふたり。
でもたまに、どちらからともなく甘える空気。
緩急のつけ方がとても心地よく、ぱっぱっと切り替わる場面を体現する神山くんと奥村さんは本当に凄かった。
そして幸せの絶頂から、流産。
妊娠が発覚した時に、Fへ対する思いをMが吐露する場面があったけれど、確か時計回りだった。
時間は進んでいる。
でもこの時の舞台装置は反時計回りに回転していて(たぶん)、舞台の時空が止まった感覚に陥った。
(経験がないから想像の域に過ぎないけれど、かなり辛かった…)
それから距離を置いてまた再会するふたり。
ここからは、一緒に行っていた友達(唯一無二の親友、何でも話せる。性格は全然似てないし趣味も違うけれど、お互い尊重できる稀有な存在)との議論も含めた感想になります。
私は公務員育休中二児の母(学歴中の中普通の家庭で夫のが賢い)、友達は待っているところのちょっとお休み中(高学歴理系の専門職バリキャリ、年下のかわいい夫あり)。
そんな感じ。
フィアンセがいるのになぜ?
本当にダメ男。くそ!なんで?!やめたらいいのに。
まぁ、これが私の率直な感想だった。
このまま友達に話したところ
“女性の度量か足りなかったと感じたよ”
と目からウロコの発言で、ここから先の結末がひっくり返った。
そう、MはFがいないとダメになる男だったし、FはMを支えることで生き生きとできる女だったのかもしれないからだ。
私にはない感覚で、それはもう、お互いが生まれた時から生きてきた過程、今置かれている状況、好きになる人、関わってきた人、受けてきた影響がモロに出た受け取り方の結果だった。
この舞台、MとFのどちらに共感できるかが、見る側の男女で固定されていないというのもかなり面白い。私はMにもFにも共感する部分があった。
それから、Fは身ごもってふたりの子を出産し、あっという間に大きくなり、Mが先立つ。
このシーン、体感3分。それなのに一際立体感のある演技で私は涙をぐっとこらえていた。
子供を持つか持たないか。
責任の在処はどこか。
環境問題に関して言及しているところがあった。
実は私自身、毎年最高気温を更新する夏を迎えるたびに、あぁ、私の子どもたちが30才になる頃、地球はどうなってるかな?お魚食べられるかな?暑すぎて生きられない世界になってないだろうか、と考える。割と本気で。
だから、子供が欲しかったのは私とパートナーのエゴだったのかな、と観劇前は本気で落ち込んだ。
観劇後に友達が
“結局は子供を持つことで素敵な人生が送れたのです、よかったね!で終わるよね”
と言った。そこしか落とし所がないんちゃうかなぁ。としかその時は言えなかった、ごめん。
私なりに色々考えた。
妊娠、出産は、女性しかできないことだし神秘的なことだと思うけれど、男女参画社会のこのご時世ではかなりデメリットもあるのが事実だ。
一方で、男性は結婚して妻がいることや子供がいることは、ある種ステータスのように見られることも多い。なんて理不尽な世界。
公園で遊んでいる、幼稚園や病院に連れて行く、ごはんを作る男性がどうしてもまだ目立つ世界。
これは世の中、とりわけ日本の仕組みに物申したい。
だからこそ、“子供には選挙に行かせよう!デモにも参加させよう!”とFが声高に言ったのではないかと思う。
埋められない男女差はあれど、寄り添おう声を上げようという警鐘かな、と。
何でもかんでも“女性に権利を”は私は少し違うと思っていて、男性がいないと子孫は残せないし、力仕事だって限界はある。
お互いに認め合って生きられる世界がいつか来ますように。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
環境問題、紛争、めまぐるしい経済成長、犯罪が蔓延る世の中に、考え抜いて、子供を持たないという結論を出すのは間違っていない。
舞台のセリフを借りるならば、受精するその時は意志のない“なにか”を生み出す責任を、自分でとるのだからそれは尊重すべきことなのだ。
それに、不妊治療やほしいと思う人達が、科学の力を借りて子供を持つということも、絶対に、絶対に間違っていない。
子供を“生むべきか”なのではなく“持つべきか”というテーマなのも大事だ。
生んだその先にある、親と子の長い旅まで想像できてこその“持つべきか”を、男女ともに深く考えさせられる。
生々しいセリフから感じられたように、生まれるまでの過程は奇跡の連続だ。
生まれてきた子供に、できるなら美しい世界だけを見せたい、誰もがきっとそう思う。
でもそうはできない世の中で、真実を見せ伝えることや、乗り越える術を教えること、守ること、Fのように何事も深く考えること、Mのように人間らしくその時その時を生きること。
一つでも多く、幸せを感じられる世界を作ろうと努力すること。
それを子供に伝えることこそが“持つ”選択をしたものへのひとつの責務なのだと思った。
最初から最後まで、本当は何も考えずに子供を持てたらいいのに…というFの思いを感じずにはいられなかった。
MとFの元に来てくれた命、二人が望む未来だったのなら、それが一番の幸せかもしれない。
うまくまとめられないけど私自身、子供を持つことがエゴじゃなかったとも知ってすごく救われた。
この舞台、導き出す答えも感じ方も千差万別で、先述したように、見た人の生きてきた過程で、どこに共感したり反論したくなったりするのかも違ってくる。
本当に面白くてめちゃくちゃ疲れる、現代戯曲の最高傑作たる所以はこういうことなのかもしれない。
色々書いたけれど、、、
あーぁ!人間ってMもFもそうじゃない人たちも、どうしようもなく面倒くさくて、とっても愛おしい生き物だな〜!
1秒前の過去ですら変えられない、だから一生懸命、人と関わりながら生きていこうと思った!
誰かと一緒に生きていくことが、楽しいと思える自分でいたい。
余談ですが。
照史くん演じた赤シャツは、言うべきことが言えずにこじれた誤解だらけの人生。どうか幸せになっていてほしい。
LUNGSはお互いに言いたいことを赤裸々に言い過ぎて、傷つけたり愛し合った人生。
なんだろうね、この巡り合わせは。
ここまで読んだ強者いるのかな?笑
ぜひ、語り合いたいです…
追記。
“案ずるより産むが易し”
とはよくできた言葉で、確かに生むことは命がけではあるが出産というゴールが決まっている。
心配事のほとんどは、やってみたら意外とどうってことなかった!できた!みたいな事もそれはよくあることで。
日々の生活の中で、何か一つの選択をした時点で、もうパラレルワールドは存在しない。
“運命”という言葉を使うなら、自分で選択したものはやってみる、やるしかないのだ、という強いメッセージ性のある舞台だったなぁ…と少し経ってから思う。
最後に、
神山くん、奥村さん、谷さん、素晴らしい舞台を作り上げてくださり、本当にありがとうございました✨どうか大千秋楽まで、けがなく走り抜けられますように。