正しさとはなにか。
強く問題提起され、ズシンと自分の中に落ちてきたザ・ビューティフル・ゲーム。
ジョンは優しくて、誰の気持ちにも寄り添える優しい青年だからこそ、彼が主人公であること、そしてそこから見えるベルファストの世界が人間らしさでいっぱいだった。
大切な親友でありチームメイトだったトーマス(舞台上で小瀧くんをも凌ぐ高身長に思わず2度見した)は、過激派組織のIRAに加入しテロに加担し、ずっと追われる立場となり最後は「明日生きていないかもしれない」という言葉を残して暗殺されてしまう。
ジョンとトーマスの対比が悲しくも美しい、でも悪は良くない、と、それだけで終わらせてはいけないような気がしてならなかった。
彼らはいつだって、時分が信じる「正しさ」に沿って生きていた。
荒れ狂う波のような内戦の時代に、それだけの強さを持っていなければ生きられなかったのだろうとも思う。
ジョンのように、危険をおかしてでも“友達”を助けたいと思うのも正義だし、ジンジャーが理不尽な理由で殺されてしまい、それがトリガーになり、“無駄な死”に漠然と怒りを覚え戦うのも正義なのだと思った。
ふと、自分の常識は他人の非常識だ。と学生時代の恩師の口癖だったことを思い出した。
誰かにとっての正義は、裏を返せば誰かにとっての良くないこと、なのかもしれない。
ジョンは誰に対しても揺るぎない優しさをもっていた。
メアリーは剣よりもペンを持つような聡明さがあった。
トーマスは、誰よりも強い自分の心を持っていた。
静かに、そして強く平和を願っていたジンジャーとバーナデット。
デルとクリスティンは、宗教でカテゴライズしない新しい考えを体現した。
舞台は1970年代、決して過去の話ではないベルファストの日常を切り取ったものだ。
今この国に生きていると、アイデンティティや宗教観を強く感じるシーンは少ないかもしれない。
だからこそ、揺るぎない自分の中での正しさを持っていた、ザ・ビューティフル・ゲームの登場人物には憧れと、人生への幸せを願ってやまない。
舞台の演出としてとても面白かった、ストップモーションを駆使した試合のシーン。
2階席から見ていると、切り取ったシーンの奥行きがとても面白かった!
女の子たちのガールズトークはずっと聞いていたいと思った!嫌いとかダサいとか言いながらも、支え合えるパートナーとなったジョンとメアリーのやりとり、どこを切り取っても可愛かったな…🤫
そして何より、ジョンの細かな表情の変化をいつまでも見ていたかった。バーでお酒を飲みまくるシーン、奥のカウンターで何を楽しそうに話していたんだろう🤭
色々と書いているが、実は恥ずかしながらミュージカルを見るという経験がほとんどなく、感情移入できるだろうかと不安だった。
でも、ミュージカルは耳にダイレクトに入ってくる音で感じる楽しさ、悲しさ、怖さ、喜び。そういうものがわかりやすく伝わってきて、一本の映画を見終えたような気持ちだった。
静かにツーっと涙が溢れだした。
改めて、また素晴らしい舞台に出会えたことに感謝して、誰かが思う、法律だけでははかり知れない「正義」を追求した今に、私も自分なりに精一杯生きていきたいと思った。
座長の小瀧くんをはじめ、キャストのみなさん、スタッフのみなさん、ザ・ビューティフル・ゲームお疲れ様でした!